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アーユルヴェーダの歴史

2017年08月19日


【アーユルヴェーダの歴史】

世界最古の伝統医学であるにも関わらず、
現代にも通じる知識にあふれていた

インド最古の聖典ヴェーダは、紀元前1200年に書かれたとされています。

神々に病気の治癒を祈る詩のかたちで生まれ、4つのヴェーダのひとつとされる文献「アタルヴァ・ヴェーダ」では
数百種類の薬草の使い方、そしてそれらを採るときに使用する真言(マントラ)が記述されています。 

それが紀元後に体系を持った医学へと変わり、6世紀頃には「チャラカ・サンヒター」全8巻120章からなる書物として編纂。 

驚くことに受精卵や遺伝の情報など、現代の医療機器なしには分かり得ないようなことも含まれていたそう。


古代から8つの診療分野を備えていた

いまでも日本ではオイルを垂らしたりマッサージしているエステ的なイメージが多いですが、
当時から内科、外科、耳鼻咽頭科、小児科など8つもの分野を持っていました。

なかにはアンチエイジング科なんてめちゃくちゃ気になる分野もありました。受けたい

当時から白内障や鼻の整形手術まで行っていたそうだから、外科も相当進んでいたようです。

ブッダもアーユルヴェーダを受けていた

仏典に紀元前5世紀に生まれたブッダがアーユルヴェーダの治療を受けていた、という記録が残っています。

主治医のシーヴァカが体調が良くなるまでスープで過ごすよう指示をしたり、パンチャカルマ(デトックス法)で数日間オイルマッサージをして体内の毒素をカラダの中心部に集めた上で下剤を飲ませ、30回も下痢させた、なんて記述があるそうです。

ブッダ、頑張ったおかげで80歳まで生きました。
この頃、インドでアーユルヴェーダは黄金期を迎えます。

仏教とともに日本へ渡ってきた

その後仏教の広がりともにアジア各地に広がりました。
チベット医学やタイ医学、インドネシアのジャムウ、中国、韓国 、モンゴルにも影響を与えました。

日本へは7〜8世紀頃に遣唐使たちによって伝来。
正倉院にもアムラなどアーユルヴェーダで使用される果実が奉納されているのが発見されています。

アーユルヴェーダの衰退と繁栄 

16世紀初めにインドに進出してきたヨーロッパ人たちは、アーユルヴェーダを原始的で未熟な医学として軽蔑し、イギリスの長い植民地時代にインドの文化は崩壊寸前の状態に追い込まれました。

1820年代には西洋医学の学校が設立され、インドにヨーロッパ方式の教育を強行していきました。
しかし18世紀の終わりにサンスクリット語によるアーユルヴェーダ医学書がヨーロッパへ持ち込まれ、
当時の西洋医学と引けを取らないことが分かり再び脚光を浴びることになります。

19世紀中ごろから新しい西洋教育を受けた人々が自らの伝統に目覚め、復古主義的運動が起こり始めます。

西洋医学を教える大学がインドに開かれた後に、それに対抗する形でアーユルヴェーダの教育制度も整えられていったのです。
西洋医学がアーユルヴェーダ医学の復古の原動力となったのですね。

アーユルヴェーダは、愛国心の高まりとともに、「インド伝統医学」として復興・普及し、20世紀の独立運動と共にさらに盛んになりました。

現在では、150を超えるアーユルヴェーダの医科大学や大学院が作られるようにまでなり、
厚生省とともにアーユルヴェーダやヨーガ、ナチュロパシー、ユナ二医学などを統括するAYUSH省までもが設立。
2016年にはアーユルヴェーダデーを制定し、ヨーガやアーユルヴェーダを世界に発信しています。

日本文化と同じように、海外からの影響を受けると自国の文化を捨て、そしてまた再び価値に気づく、という
揺り戻しが起こるのですね。

*アーユルヴェーダから生まれたコスメ ARYURVIST*